時代と人生 働きながら学ぶ烏城高校 同級生岩田日記2 | 5円玉持って岡南神社(八十路を生きる)

5円玉持って岡南神社(八十路を生きる)

車に乗れなくなった。歩くしかない。歩き始めはまず岡南神社。そこからはあちこち。感じたまま、思ったまま。子供の作文です。

同級生の岩田さん日記(抜粋)である。(了解済)(当時18歳。自分は16歳。烏城高校2年

 

当時の社会状況・生活状況・物価・昼の職場やそこでの仕事・夜の学校生活などが具体的に伝わってくる。

自分の不確かな記憶より、正確な事実が記述されているので、お願いして活用させてもらうことにした。

 

1955年(昭和30年) 鳩山一郎内閣(日本社会党再統一 保守合同 55年体制) 神武景気1年目

 

7月29日金曜日

今日終業式であったが仕事が忙しくてどうしても4時の汽車に乗れなかったことは実に残念であった。5時の汽車で学校に行くと未だ講堂で校長が話をしていた。

通知表を貰ったら36人中6番で嬉しかった。中間の9番よりは又3番上がったわけだ。

帰りに石原インキに寄ったら7時の汽車に1分の差で遅れたので一人で烏城公園の方を散歩した。

12月23日金曜日

天満屋にも進物用の砂糖を頼まれたので行き四百八十円のを買って来たが買物が下手なのでこんな時には気を使う。しかしおばさんもこれでよいといわれた。

二学期を顧みて勉強した割に成績が上らなかったと思う。皆の成績がよかったのだろう。

帰りに横田君の宝くじを買って帰った。

 

◎横山あれこれ

自分も仕事のため学校に遅れたりすることは良く有った。重点がどちらかに偏る。両立させることは大変だった。

だからどうした。それがどうした。