時代と人生 働きながら学ぶ烏城高校3年 同級生岩田日記(抜粋)4 | 5円玉持って岡南神社(八十路を生きる)

5円玉持って岡南神社(八十路を生きる)

車に乗れなくなった。歩くしかない。歩き始めはまず岡南神社。そこからはあちこち。感じたまま、思ったまま。子供の作文です。

1956年(昭和31年) 12月鳩山一郎内閣から石橋湛山内閣へ 神武景気2年目

  原子力委員会設置 日本原子力研究所設置 ソビエト連邦と国交回復 日ソ共同宣言 国際連合加入

 

◎岩田日記

4月9日 今日で愈々長かった四年間の修業を終り懐かしい柳本印刷工場に別れを告げに。どうも別れの挨拶は苦手だ。一人々々廻って見たが、唯「お世話になりました。」より他は云えなかった。始終ニコニコして別れた。社長と奥さんに挨拶をする時は涙が出た。こうして退めてしまっても未だ、余り寂しい気持ちにはならなかった。帰り、S君が「お好み焼」をおごって呉れた。

 

4月10日 心配していた転職の件もどうにか合格、明日よりの出勤に早くも心を燃やしている。

学校も今日が入学式・始業式。入学生は186名。あまりに多い入学生に驚いた。父母も多数来ていて、いつものより盛大だった感がした。三年生になったのであるが、宮本・川田君とは組が異なり残念であったが、大熊・松本君らと一緒になれたのでよかった。今度の組は皆真面目な勉強家に見える。

 

4月11日 今日から夕刊岡山へ出勤だ。朝は何だか風邪気味だった。朝早くから目が覚めて胸騒ぎがしてくる。今日も曇りだ。三番で行ったが、車中、退屈で眠気さえ起す。勉強は当分おあづけで、兎に角、仕事に一生懸命になろう。

一日ではどうも仕事の内容が判らなかった。朝、校正刷りの下始末から、版を壊してしまった。大して仕事はえらくない。早く慣れよう。

 

4月12日 学校で新入生の歓迎会が盛大に行われた。片山君が四年生でこの一年間通うということは自分にとっては思いもかけぬ嬉しいことだ。

仕事も少しばかり分かり出した。皆いい人ばかりだ。Hさん、Mさん、解版のおばさん、広告のおじさん、T君。三時半に仕事を終えて三野公園へ花見に行った。未だ入社二日目とはいえ、大変楽しい一時が過せた。

 

〇自分

歯科商店の営業(歯医者さん廻り) 汽車とオートバイ 

月曜 倉敷市内 火曜 総社 水曜 水島 木曜 倉敷市内 金曜 倉敷・西阿知・船穂 土曜 玉島   

お店に帰ってから登校

だからどうした。それがどうした。